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無題
あじさいもおわりの頃。
情熱的な色のあじさいに出逢いました。
こんな色を見ていると、心のなかに何かが灯りそうです。
色と、花そのもののエネルギーに
人間は生かされていると思えるとき。
繰り返さない自然たち
水面に映る蓮。
風が吹けば水面は揺れ、鯉が動けば水面は揺れ。
雨粒が落ちれば水面は揺れるけれど
ひとつとして同じ画は存在しない。
それが自然。
吟行
吟行が再開したので久し振りに参加。
家事で出遅れたのもありやる気はイマイチだったけど、せっかく森に来たし
雨上がりで空気も澄んでいたので、五感を潤す感じでその場の空気を味わい
作句してみる。
初めて来た森は、梅雨のせいか水場はくらく鬱蒼としているが
それが自然を感じるのに相応しかった。
そして初めて会った、黄釣舟草の花。
ちいさく点在して咲く花が私にクリエイションを与えてくれる。
近づいてみると、まるで妖精のよう。
この花に会えただけでも、吟行に行った甲斐が会ったと思えた日曜日。
「森閑と森灯すかに黄釣舟」 貴薫
花手水
ある庭園でみつけた花手水。
散ったあとも そこで生きてて美しい。
祝いごと
少し早い家族の誕生祝い。
高齢になってくると、1日ごとが貴重な時間になることを
日々のなかで感じることが多くなる。
だから余計誕生日が貴い。
そして今日が俳句の締め切りと気づき、
にわかに慌てだしている・・・
自然のエネルギー
月に一度の八ケ岳。
お庭のあるお家にお邪魔して、焚火にあたる。
仲間との時間はとても濃く、かるく、あたたかい。
水は洗い流すことで浄化をし、
火は燃やし尽くすことで浄化をする。
いずれも浄めてくれるもの。
火には熱のエネルギーも存在するからか、ゆれる炎を見ているだけでも
とても気持ちいい。
色の効果もあると思う。
帰り際の夕空も、そんな炎の色で
心が洗われる。
魂も、こんな風に輝き燃やしていきたいと光に願う。
了わりしもの
この数年詰めるだけ詰めてきた本棚の整理をおもむろに始める。
どこから手を付けていいかすらわからなく、いきなり自己嫌悪になりそうなところを
奮い立たせ動くと、なんと要らないものが本以外にも沢山。
いつか大事だったペンや、いつか大事だった写真や手紙、
高校の陸上部にいた頃に取った4K(リレー)の優勝メダルまで。
あんなに大事だったけど、今の私にはあっさり要らないものとなっていき
どんどんゴミ袋に移っていくのが、嬉しくもある瞬間。
それだけ自分が過去を了わらせたことになるから。
空いたスペースに何が入るのか、、でもしばらくこの空いたままがいいかも。
唯一完走したフルマラソン2本の記録証は両面でパウチに。
なんと潔くシンプルになれることか・・・。とてもすっきり。
薫風
久しぶりに清々しい風のなかにいました。
草の匂いと、ちょうどいい温度の風。
初夏を思わせる緑は日に日に濃くなり
さえずりが耳に届きます。
夕刻、目に留まったのは
赤く染まる葉。
まだらな赤がなぜか私の足を止めました。
情熱的で活力のある赤は、行動を促す効果があるとか。
行動を促してもらいたい欲求なのか、もう行動している証なのか。
神の創りしもの
花の姿は本当に不思議。
なぜこのような形をしているんだろう?と思う姿が
とても多い地球。
このオダマキもそのひとつ。
下を向いて咲くのだけれど、なんとも可愛いアンブレラ。
柔らかそうあな花びらがとても魅力的です。
こちらは妖艶な姿。
白とクリーム色の淡い色合いに大人の色気のようなものを感じます。
受粉しやすいようにとか、獲物をつかまえやすいようにとか、
きっとその形には意味があるのだともうけど、
神が創るものは本当に美しく、そのものそのままで完成されていると思えます。
人間さえも本当は。
衝撃の出会い
雨上がりの朝、シジュウカラの子供を新緑のなかに見つけた。
餌を口に運んでもらうところを見ると、まだ成長しきれていない感じ。
口元がまさに幼さを醸し出しているよう。
その穏やかな朝の風景に飛び込んできた鳥の影。
あっという間の出来事で、思わずカメラを向ける。
ハト?にしては目が違う・・。
ヒヨドリ?にしても顔が全然違う・・。
少しすると側にいた鳥たちが騒ぎ、頭上からもふもふした羽毛が落ちてきて・・。
毛づくろいでもしているのかな・・・間違って毛を吸いこんでしまうといけないからとその場を離れます。
帰宅して写真を見ると、なんとその鳥はツミ。初見です。
しかも足元には別の羽根が・・・・。そこで、ようやくわかったことが。
あぁあの幼鳥が犠牲になったのだ、と。
獲物を捕らえた姿は長野で見たハヤブサ以来2回目。
こんなすぐそばで起きた、当たり前の自然の摂理に
驚きと納得とすこしの切なさを感じたのです。