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能登の旅
新幹線で金沢へ。
今回は能登が目的地。
ご縁ある場所を巡りながらの旅は、日常に隙間をいれるような時間です。
今回能登にいくことが決まってから、テレビや雑誌などで
折に触れ能登の情報が現れて、まるで予習のような感じ。
砂浜を車で走れるという羽咋という場所もそのひとつ。
今回は砂浜を走ることはなかったけれど、その海岸線は何度も通り
荒々しい日本海に出会うことに。
つぎからつぎへと押し寄せる波に、日本海は季節の差はあるものの
引潮がないことを初めて知り、そんなちいさな事さえも
新しい発見のひとつになる。
車から降りると、突風が吹き荒れ、
波がどんどん押し寄せては割れていく。
また違う季節のこの海も見てみたい。
氷上をゆく人影と鳥一羽 貴薫
山中湖がほぼ全面凍結した日。
こんなタイミングで尋ねることが多い私。
見たかった光景なので、寒いけど思い切りその場に浸る。
セキレイが一羽、ちょこちょこと氷の上を歩いていく。
滑りそうで滑らずに、あの細い足でちょこちょこと。
君は軽いから、氷は割れないよね・・・なんて思いながら遠くを見ると
人がひとり、氷の端を歩いている。なんて怖れ知らずな。
どうやら割れなかったみたい、よかった。
氷上という季語をはじめて使う体験。
春立ちぬ
立春を迎えた朝。
玄関を開けるとなぜか明るい気がして、大きく呼吸をしてみる。
今日はカワセミに逢いたいと思い、いつもの池に。
大きな機材と三脚を構えたギャラリーのもとへ飛んできた一羽。
私は横の位置から撮すことに。
あぁ逢えた。春に逢えた♡
今日もそのいのちに感謝をしながら撮す。
カワセミブルーが来たばかりの春を少し濃くしてくれる。
風も春のゆるみを運び出した、かな。
潜むいのち
冬の朝の日陰はまだ冷たくて。
生き物たちはこれから起きるような姿をしている。
そして葉ボタンを一番美しく感じるのがこの姿。
朝日でこおりついた霜が解けて水滴となる姿は
まるでいのち溢れるよう。
この瞬間をとても美しく感じる。
そして、すっかり太陽を浴びると歓びに満ちる姿に。
不思議と海のなかのサンゴのようにも見えてくる。
自然は大いなる場所で繋がっている。
日脚伸ぶ
冬至から半月も過ぎると、夕方が訪れる時間に違いがあるのを感じます。
17時で真っ暗だった空も、今は薄暗いくらい空に。
蝋梅も花びらを陽に透かせて咲いています。
日脚伸ぶは春が待ち遠しい季語。
大寒を控えて、まだまだ春は遠そうですが、
土のなかでは春を待つ植物たちが動いているのを感じる日々。
❄・雪・ゆき
久しぶりの降り積もる雪。
底冷えが激しいなか、撮影に。
なかなか出会えない雪だと、撮らずにはいられません。
雪は白く、様々なものを覆い隠していました。
白い世界は、景色を仄かに明るくし、枯れた紅葉さえ
いのちを吹き返したかのように、美しく見せます。
去年今年
すっかり投稿が遠のいてしまい、あっという間に大晦日。
この日しか使えない季語のひとつが「去年今年」。
今日は2021年で、明日には2022年となる。
同じ時間の流れ、同じ生き方で、特に大きな変わりはないけど
ひとつの年が終わり、新しい年が始まります。
最近聞いた言葉に、年が終わるのは大晦日の日が沈んだ時、というのがあり
そして新しい年になるのは、元日の太陽が昇った時、とか。
そうすると、その太陽が居ない間をなんと表現するかといえば
「仲人の時間」とのこと。
仲人とは、、、面白い時間帯です。祝福の時間帯なのかもしれない。
世間では様々なことが起こった2021年。
私的には、新しい出会いが重なり、新しい生活スタイルにもなり
より軽くなった年かもしれないなと、感じています。
来年は、さらに多くの方々に写真を見ていただくチャンスをつくろうと思い
2021年のブログを終いにします。
感謝を込めて♡
冬のあしおと
立冬を過ぎると、気持ちは一気に冬に向かう。
これは日本だからなのか、大好きな秋が去っていく淋しさと
実は割と好きな冬に焦がれたりもする。
この変わり目の季節は、色んな光があり、楽しませてくれる。
この中に居るだけで幸せな気持ちになる。
芒に光が集まり、美しさの極みを魅せていた。
木に吊るされる枯れ葉もそのひとつ。
やはり日本人だからなのか、この侘びにとても惹かれてしまう。
枯もみじが紅く落ちているだけで、足が止まる。
からからと風に音を立てる木々の葉に
少しずつ冬が近づく感じが好き。
日本で生まれ育ち生きている私のなかにある何かが
それを感じている。
晩秋の太陽
なんだかあっという間に秋が去っていくようで
ことさらに寂しい。一番好きな季節なのに。
無農薬の人参をいただき、その甘さと土の香に癒される日々。
それだけではもったいないので、備蓄用に干し野菜にしてみることに。
家にある野菜で他にも干せないか探ってみたら、
野菜ではないけど、バナナがあったのでこちらも干してみることに。
これは災害時のおやつになるし、なにより干すことでビタミンDがプラスされるので
栄養もいい。
こういうのを毎日眺めるのが実は楽しみ。
去り行く秋の太陽の力を借りて、こんな家事をする時間がとても好き。
利他とは
こんな言葉を聞きました。
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『氣』
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氣功というと、特殊な術のようなイメージですが、
「氣」とは流れるものです。
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何が流れるのかというと、
「清々しさ(すがすがしさ)」です。
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現代の子どものは「一.に勉強、二.に勉強」ですが、
昔小僧さんは「一.作務(掃除)、二.勤行(お勤め)」
お経をお唱えするより、掃除は優先されているのです。
なぜなら、「清々しさ」に神仏が宿るからです。
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神仏が宿っていないのに、
お経を唱えても、聞き手がいなければ意味が無いからです。
神社仏閣はどこもきれいにしているのは、このためです。
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人間の肉体にも神仏が宿っていますので、
お掃除が必要です。
入浴して身体の垢を洗い流すことはしますが、
体内まではお掃除しません。
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庭は掃除しても本堂を掃除していないと同じです。
汚れているところには、氣が流れませんので
お掃除が必要です。
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それが「断食行」や「添加物」などを取り入れない食事です。
体内の「清々しさ」を保つことも大切なことなのです。
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そして、体内に氣を取り込むと、神仏がお集まりくださり、
心は「清々しさ」を放つことができるのです。
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それは、やがて闇を照らす光になります。
これを「利他」と申します。
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「自利利他」が私の中で大きなテーマであるけれど
こんな見方をしたことがありませんでした。
新しい見地に感謝。